現代の嫌味は、もはや嫌味にならないように丁寧に気を付けて生きている人間なのかもしれない‥。

「その人がやることに意味があること」ってあるじゃないですか。例えば、休憩室のポットのお湯はまだ十分あるにも関わらず、「下っ端がやるべき」との姑じみた先入観により、あえて悪意の第三者が不要にも関わらず水を足し、「あいつはポットのお湯も替えやしない。ブログにはお湯お湯書いてたのになぁ!八ッ!」とペアの人間に言いふらしているのを見かけてしまいました。これは、「僕がやることに意味があった」ということ。

省エネの観点でも衛生の観点でも、なんでもかんでも使ったら即補充すれば良いわけではない。事実、泊まり勤務では別に替える番が回ってくるタイミングも多く、僕が「替えていない」というのはありえないわけですが。

しかし同じ作業にも関わらず、ご指名を受けたのは僕。つまり、この悪意の第三者の自尊心を満たしてあげられる可能性がある(と勝手に思われている)のは、この僕をおいて他に存在しなかったのでしょうね。なんか書いていてたかがお湯でこんなにグチグチ書くことじゃない気がしてきたな‥。この悪意の第三者と同レヴェルに成り下がるのだけはご勘弁‥。

まあ、AIだのロボットだのには満たせない需要をもはや僕はフルコンポしようとしている。「打ち倒したらきっと爽快なサンドバッグ」としては、きっちり起き上がって逆に張り倒してやるくらいの気迫は常時MAX。ご希望ならお見せいたしましょうか‥?誰が真のお水の管理者なのかを‥!

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