「混在した話するならカテゴリで分けた意味ないじゃん」というご指摘を頂きました。ダジャレとして掛けるのが自分としては新しかったのですが、冷静に考えたらむしろ独立してしっかり一つのカテゴリで書くほうが難しいですよね。ネタ尽きるし‥。
しかしダジャレを言うことができないとダジャレを避けることもできないわけで。「みんなに合わせることができる」という人は「みんなと違うこともできる」ということなんですよね。みんなと違うことしかできないことが悩みだったつもりが、その「できないグループ」の中では似た者同士だなと理解したとき、そもそも「居場所を間違えている」のではないかと最近思っています。
カラオケもそう。好む傾向や好む歌い方って、案外結構な割合で結構なボリュームで同類が存在したりするんですよね。「よそいき無難な」感じと、「心の中パッカーンモード」と使い分けたりしているだけで、その「パッカーンモード」自体は我流なようで似通った部分が大きい。「オリジナリティ」は出そうと思っても出せるものではないわけで、無理に自分らしくある必要もないし、無理に原曲に寄せようとする必要もまたないんですよね。
かといって好きなポイントは真似したいじゃないですか。むしろ「そこ」が楽しみポイントだったりするわけで。単純に、そういったものが多く積み上がった人こそ「合わせられる人」って奴なのかもしれませんね。
ずらしテクニックで満足している場合ではない‥。「あれ?”本質”突いちゃいました?」と眼鏡クィッしてこそ‥。閃きを超える”必中”で決めてやるッ‥!
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