ペンが逆に回せるかどうかなんてどうでも良い。僕の”逆転”はむしろここからが本領発揮なのだから‥!

今日はなんやかんやで気分最悪、久々に自分は何のために生きてきたんだろうな‥という気分になっていました。家族のためと言うには家族の本性を理解できるだけの人生経験を積んでしまったし、別に一人の精神障害者として自立できれば万々歳なのだけれど、自分が世のため人のためになっている部分って「いじめられること」でしか貢献できないと言う点に、自分の幸せとは両立できないのかと悩みます。

打たれ弱いサンドバッグに価値はなかろうと言う趣旨で生きています。例えば実務に無価値なはずの資格をきっちり揃えた「こけおどし」を倒してやったぜと言う需要を満たすだけだとしても、多少は実務でもカウンター可能な存在でないと張り合いもないでしょう。別にこちらの負けは確定していても、相手の本陣に迫る心意気くらいは形として示すのがせめてもの礼儀と言うもの。

まあ、体調も悪く最悪なコンディションでカラオケに挑んだわけです、今日。ボイトレでもするか‥と来店したら意外にも最新機種の部屋だったし、別に機器の状態も良好。なぜこんな日に‥とは思いはしましたが、僕みたいな人間が実力でもって幸せであろうと願うことは、本当に「怪我人どころか死人すら出るほど」迷惑な事であろうことは分かってはいるのです。たとえ自分の席に座るだけでも、「一人の席を奪っている」という自覚は持たなければいけない。そして、それ以降の全てのハードルを上げたり下げたり、らじばんだりしている。

あれほどなじみ深い存在だった牛丼屋にも、ネットカフェにも最近は行っていない。このラインなら「僕でも行けるタイプの店」として、遠慮してくれている奴らだっているのに‥。僕には見えないラインの上を、奴らは歩いている。僕から見たらどこにでも奴らは現れるため、「え、それ一括りにしちゃだめなの‥?」という疑問が湧いてしまうのですが。

「win-win‥?ウォンウォンなら知ってるけど。ケロだけで3時間は語ってからダジャレを宣言してくれませんかね」ぐわっ、ぐわっ‥。単に「あとは帰るだけや!」しているのではなく、しっかり地域との繋がりを築いていた上で、「確かに実務とは直結しないが、今後に大きく活きる業務外のスキルアップとして」それをやるべきだと、前職で確かに教わったはずなのに‥。でも金プラスして個室で休むのが普通のシステム、一人で黙々と食えるならノータイムでそれを選んじゃいますが‥。

アンチなんて実在しないのかもしれない。「繋がっているから」そんな強い言葉が使えるんだ。テレビの中に関わろうと考えていた人は多くいるだろうか。歴史の教科書に自分が載りたいと考えて生きて来た人はいるだろうか。それと同じ感覚で、「別に配信にコメントとかしないだろ」という理屈なんですが、「別にうちら教科書に名前載るレベルだし」って人も当然たくさんいるわけで、その人達が踏み込まないように気を遣ってあげようと言うラインがチーズ牛丼であり、越えられない壁としてラーメンが存在しているのかもしれません。

実態だけ正確に把握すれば良いと言うものでもない。こけおどしで十分、それでむしろ闘志を示すべきだったんだ。手加減している‥?遠慮している‥?”実務に無関係”‥?確かに”それが暇な奴らのやることだ”という認識だから、”そんな温度感”なんだろうな‥。繋がらないと言うことだって、確かに必要なセキュリティなんだッ‥!

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