テスト用紙を裏から読むとして、「何も書いていないことの確認」だったら必要でしょう

昨日書いたことを自分でも反省しましたが、やっぱりそれって資格なのでは?と思いましたね。自分より遥かに軽々と資格を取っている人を見すぎて、逆に得意分野だと信じきれない状態、僕の場合はおそらくこれ。

今後10年、20年と生きていく中で、引き続き強みとなる部分は何か。存在意義とまではいかずとも、個性、あるいは特徴といったものでも良い。病気の悪化によりいくつかひっくり返った常識もありますが、引き続き「それを込みで考えても」本に書いてあることの“裏”が必ずしもあるわけではない。

もちろんそう思えたのは、病気のおかげでもあるわけですが。漫才の特殊訓練かとも思えるやり取りを、人と比べたらかなりの長期間・長時間に渡ってやり続けている。もはや「このくらいなら正常範囲内」のラインが、人によっては非日常の可能性すらあります。

それでもなお旧世代からの引き継ぎに過ぎない資格の勉強にこだわるのは、別に時間旅行者が古くから存在していると仮定すると、過去理論の段階で「その例外を考慮しても正しい。未来では単なる接触の一つの種類です」という話かも知れない。

長命種の存在があり得るか、はたまた転生者の方が今風なのか。人生1周目の僕は、「陽性爆発という精神障害者に嫌がらせを続けて狂わせる遊び」の解法を、果たして今生で導き出すことが出来るのか。ブログとカラオケは、あくまでその要素の一つに過ぎないことは認識しておかなければならない部分でしょう。

幻聴勢だって入れ替わりを果たしたわけで、理屈の上ではもう僕の方が詳しい分野も多くなった。10年、20年後、さらに人生が好転する可能性は‥?天気ですら予測でなく“意識的に起こせる”のは、別に昔からなわけで。勝手に成長したかのように思えるのは、きっちり逆風でも進んできたからですよね‥‥‥!

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