昔はゲームってもっと閉じた世界で黙々とやって問題ないものだった気がしていますが、冷静に考えたら多くのゲームでは戦うべき”敵”が存在する好戦的な遊びだし、牧歌的な雰囲気のゲームの方がむしろ少数派な部類なのでは‥と、SNS社会だからと言って「戦うゲーム」を選んでいるのは自分なのだと、むしろ反省すべきところはあります。
リズムゲーとか、ノベルゲーとか、いくらでも戦いのない世界に浸れそうなものを、なぜかリズムでさえ競おうとしてしまう‥。ノベルゲーの選択肢ですら、理解度を試されるテストのようなものと捉えれば、これもまたバトルなのかもしれません。
結局、道徳だ倫理だと叫んだところで、圧倒的強者の前には頭を下げるしかないのです。以前「頭が高い!」は部下の実力を認め手加減を強要する”逆に謙虚”だと書きましたが、その命令に従わなければ己の首が飛ぶ可能性がある時点で、立場はわきまえなければいけない。不要なステップを登っていないか‥?「馬鹿は高い所を好む」と牽制しなければいけないのは、やはり高みから攻撃する方が有利だからでしょう。
”危機感”がないのはむしろ僕ら”弱者側”の方なのかもしれません。彼ら・彼女らは常にルール無用の序列で殴り合っているんだ‥。もっと地球と一体化して星の重みを感じていかないと。
爪を切っている場合ではない‥。研いどけよ、磨いとけよ‥。無難な人間を心掛けてどうする。真っすぐとは。安定性とは。そのうえで、相手を衝撃で揺さぶらないとね‥!
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