反AIや反反AIなど、否定しているからと言ってその大本の肯定ではありません、というケースが結構多い模様。AIにしても、AI自体よりも「自分流を名乗られる、あるいはその自分流に取って変わってそちらがメジャーとして認知される」という「乗っ取り」の方に不快感が大きいはずで、僕もブログを書いていて似た文面でそっちの劣化コピー扱いされたら嫌だなとは感じています。
例えば僕は昨日疑似毎日更新が途切れてしまいました。眠かったので仮眠してたら日付が変わってしまった完全に自己責任ではあるのですが、仮に偽のコピーサイトが僕の1日2記事更新日などを調節しながら毎日更新を続けたとしたら‥?そしてこういった「毎日更新途切れました~」的な文面だけならどこに追加しても成り立つし、別にオールコピーかつ放置でなぜかそっちの方が主流として認知されてしまったら‥?自分自身が特別有名でもなんでもない一般人だとしても、「自分を名乗られる」そして「偽物の方が本物として認知される」というのが別に高い難易度ではない時代、「アレンジが得意なプチインフルエンサー」みたいな人に目を付けられてしまったら‥。己の個性とかアイデンティティとか、そんなものは少なくともネット上に常時存在を継続できるようなものではないんだなと痛感しますね。
かといって僕も情報工学出身だし、簡単な初歩の学習プログラムくらいなら書いたことはあるわけです。それが嘘も冗談も忖度も一つの表現として「正解」として出力するようになったことは素直に喜ばしいことだと思うし、逆に僕の方こそそういったコミュニケーション能力を「AI的」にすべく磨いていくべきなんだなと、むしろ機械的な応答というのは「完璧なコミュニケーション」を表現するようになるのかもしれないなという時代の変化をひしひしと感じています。
「もし真似られたら確実に上を行かれてしまうだろう」という劣等感がそもそもよくない。続きを書けるのはもはや本物だけではないのかもしれないが、僕の人生の続きは今後一生僕が書き続ける‥。永久保証の僕だから‥!
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