病院に行くだけで手出しを辞める層には一応効く

「(精神)病院に行った方が良いよ」というのは煽りであることは間違いありませんが、当人にとってその方が幸せであることもあります。

”幸せ”と”ときめき”だったら、一般の健常者は”ときめき”の方が遥かにイージーで、日常的で身近な感覚なはず。一見誰にでも獲得可能に見える”幸せ”は、”ときめき”の感度3000倍に霞んで見えなくなっているようです。じゃあある意味、”鎮静”されてしまう(精神)病院に通っている人は、むしろ幸せを感じやすい体質であるということ。多幸感を高めるアプローチではなく、常時不幸だからこそ些細な幸せに気付けるパターン。

「人の善意を無視しない方が良い」を当たり前として、「だから何?」する人が多いそうですが、それって「自分に向けられた善意である」と多くの場面で確信できる人種限定の思想ですよね。同席している他の人向けでは?とか、会社や部門に向けているだけでは?とか、形式上やってるだけで反応とか求めてないのでは?とか、生きていれば「自分に向けられているのか、そうでないのか微妙にわかりにくい善意」って大量に存在する。それを全部「自分に向けてだな」と確信できるのは強さであり、そういった多少自分本位な考え方の方が「感じが良い」つまり「ときめきの感度が高い」と言えるのでしょう。

挨拶にしてもそうなんですよね。「返答を要しないタイプの挨拶」って結構あるし、とはいえこれに返答しない人を「敵」として認定し「偉そうだ」と言い放つ人もいる。転職サイトに登録して、何もマッチしていないオファーが来たとして一々断りの連絡入れるか?といえば、大半の人がしないのでは。相手だって単なる自動送信みたいなものの可能性が高いですし‥。

しかし、そこで「これこそは自分向けの善意だ‥!」と確信できる瞬間はある種の通じ合ったテレパシーでしょうし、その瞬間遠隔120分コースが始まったとしても全くおかしくないでしょう。常に受け入れる準備が整っているかどうかはともかく。

認めましょう。別に”ときめき”でも幸せは感じられるのかもしれません。まっすぐ駅にインするのか‥?シャーク寝取るーどで凍らない夜を‥!

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