「精神障害者である」というだけで圧倒的な敵意を向けてくる人は一定数います。真っ当な事をやっても「ヤンキー」と差別されたり、「カントリー」と侮蔑されたり、「カッペが俺のコンポとコンペ出来ることを喜びな」みたいな煽りを喰らったりもするようなもの。レッテルに分類されるような行為ですよね、本来。「誇り高き防人やぞ‥!」と主張したところで、本土の人間とは異なるネイティブ・メンヘラなのだ‥。
こういう余計なことを書いてしまうあたりが敵を作りやすい由縁なのかもしれませんが。「そこに突っ込んでくるならあなた方健常者の方がよっぽどアウトローですよ‥?」という主張をあちこちに散りばめておくのが精神障害者の基本防衛術。「~と同じ」であることを本気で理解せずに、「善人側」として差別・嫌がらせを正義ヅラで行ってくるのが許せないだけで、自らの行為を”悪行”と認識している人間にまで僕はそこまで反論しません。性欲強すぎて禿げてるくせに、ヅラならもっとチャラい奴でもつけてろよ‥と思うこともあるが、僕はそこまでは言わない。改善できない身体的特徴にまで触れるべきではない‥。生産的行為ではありませんからね。
とすれば、僕は一定の健常者は言葉で語り掛ければ相互理解が可能なレア存在がいる、と信じているわけです。実際に、今までに務めてきた会社の中には一定数そういった人財がいた。僕が知らなかっただけで、サポートしてくれてただけなのかもしれませんが‥。完全ではなくとも、敵意が存在するのだとしても、言葉が通じるのならばコミュニケーションは成立し得る。
お互いの意図が違っても、win-winの関係は作れる。例えば「低俗や奴め」と言われることは、実際に現場での風土・文化に寄り添いより分かり合っていると自負している人にとっては「誉め言葉」なわけです。言う人間にとっても、「それを含んだうえで侮辱の言葉」であることには違いないので、その誇りまでは訂正する必要はない。こういったコミュニケーションは、健常者と精神障害者の間でも成立し得る。”精神障害者”は自分たちを差別し、違法捜査によるストーキングや闇バイトへの端金の連勤者の募集を行う”健常者たち”とは異なる存在と示してくれる誇り高き言葉なので、別に自ら呼称として多用する「好きな言葉」なんですよね。ここにむしろ「差別だ!」とか宣うのはエアプもエアプ、むしろ健常者側が精神障害者下げをしたくてやってる被害者素振りで間違いないでしょう。
まあ「説明されるだけで敵意だと思う人間もいる」というのを最近目にしたので、資格者・他社経験者である僕が「むしろ善意で」教えていることに「精神障害者ごときに”健常者”たるこの僕様が実力で負けるはずがない!」と反発しての敵意である可能性がありますが。それ自体は「改善できない身体的特徴」とかでもなんでもない、僕が少しずつ教えていけば良いだけなので、根気強くコミュニケーションに当たるとしましょう。やれやれ‥。相談料くらい欲しいものですがね‥!
コメント