仕事において僕が重要視しているのは資格ですが、ではなぜそうなったかといえば「資格者でなければ存在が許されないケースが多かった」と言う点に尽きるでしょう。転職したとしても、即選任されるケースが多かった。
しかし、今はどこに選任されるか未確定。逆に言えば、「資格を使わなくとも存在が許されている」と言っても過言ではない。当然、理想はそうなのです。「存在している理由があるから」ではなく、「特に理由がなくともいても良い」ってすごく自己肯定感を高めることができるし、誰がやっても良い誰がやっても同じはずのことで一味違う価値を添える「なんか実務重視っぽい動き」は僕が今までやられてきたことをやり返しているに等しく、「仕事をより良くする」というプラスの側面ではあるものの、壮大な復讐計画の序章のような錯覚すら覚えます。
まあ、責任が減った分、発言権も減りあんまり意見が通らなくなった感はありますが‥。多少給料と発言権が減るだけで真面目にやっても罰則を受ける可能性を減らすことができるのであれば、十分「割が良い」部類の仕事になってきたな‥ようやく人生後半戦「僕のターン」が回ってきたかな‥と嬉しくなっちゃいます。
まったく同質の仕事を3年以上続けたことがなかったですからね。「資格で事前に学んだことを、実務経験のベースとともに語れる」ってこんなにも楽しいことなのかと”ぐるぐるドッカン”しちゃうくらい真に嬉しくなっちゃいます。「悲しくないことが悲しい‥」とついこの間まで思っていましたが、そう、僕はもう嬉しくなるターンだったのだ‥。心と体が疲れきっていて、そのステージ(低)に至れたのだと、まだ実感がなかったのでしょうね。
ぽぽぽぽーんと階段を駆けあがったうえで「ふぅ、一休み」くらいの人がうじゃうじゃいる業界ですが、精神の障害を抱えつつも続けていける仕事としては、そろそろ資格・実務経験共に完成への目途がついてきたかな、という着実な道程~ロード。降りてきた人間ではありませんが、僕も一休みしていいっすかね。知識だけで言えば似たようなものは持っているはずなので‥。
僕に付きまとうのを止めることはできないのでしょう。彼ら・彼女らもそれくらいしか愉しみが存在しない「かわいそうなひと」ですし。その間に、僕は着実に自信を補強していく。正当・誠実・聖なる心根!来るなら来い、残りの半生かけてでも復讐は継続していく‥!
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