なんのために働くのか?給料がすべて消えてなくなるものだとしたら、果たして一体何が残るのか‥。
ソシャゲの場合、「データとして蓄積はされるから!」というのはあります。たとえサ終になったとしても、閲覧モードを残してくれる所も存在するし。
ではギャンブルの場合は‥?やはり「勉強代だった」と考えて、「寄付したうえで勉強もしたなんて、なんて僕は献身的!」と己で己を高めていくしかないですね。国が施策として稼げたのであれば充分。庶民なりに税金を余分に納める気概を見せたのだ‥!
とすると、「労働はまず勉強というけど、この歳になって一周回って”勉強します”が新しいよね」という感じで「勉強しに行っている」と変換していくと割と良い感じかもしれない。なんせ消えるにしても実際は給料出るわけで‥。変に自棄になるのは良くない。
毎日仕事に行ける喜びに打ち震えねば‥。金あっても労働している人だっているくらいだ。まさに社会勉強としての価値は存在するんだ‥。無駄に思える日々でも、きっと何かが積み上がっていく‥!
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