ゲームの話が連続しましたが、無課金者の捨てゼリフが大体「家を買う」「高級車を買う」「子供への課金アピール」の3パターンで、若干嫌だったんですよね。「普通にちょっと課金する」でも良くないか。特に小さい子供が複数人いるパターンは「いや、子育てしてんの、ちゃんと‥?ソシャゲやってる場合?」と思ってしまうというか。
でも最近子供アピール勢が減りつつあるのは、「3人産まなければ出生率に貢献したことにはならない」が言われ過ぎて、ちょっと控えめになっているのかもしれません。人口増による食糧危機とかの方面を主張するまでもなく、ソシャゲやれる時点で時間余裕的には勝ち組であることに自覚的になったのだと言えるのでしょう。
いてもいなくても変わらんどころか、「いないほうが社会全体にはプラス」はむしろ今親をやっている世代が未婚の時に言われ続けた言葉であるはずだし、そんなカウンターを仮にきっちり返せるにしても、自分からは武器として掲げたくはないのでしょう。
でも待ってほしいんです。「いないほうがプラス」だとしても、苦痛を感じながら生き続けるのは辛い。楽に死ねる手段があれば良いが、「運悪く」助かってしまうこともある。ならば、妥協点として「自死を選択肢に表示させないようにしながら」、極力周囲に迷惑をかけないように生きる、というのが大きなテーマとなる。僕も十数年前に一度だけですが自殺を試みたことがあるので、別にそのときに死んだあとの夢を見ているだけかもな、だから幻触とかも起きるのかもな、と思ったりもしますが。
「なぜこいつは今まで殺されてこなかったのだろう」という疑問を持つ人がいるらしいですが、単純に誰しもが死にたくはないから多くの妨害と障害を乗り越えてきただけの話でしょう。精神障害者とは、自らの障害として現れてくる劇団員(闇バイト版)の妨害にきっちり立ち向かい、それすら原動力に変えていくタフネスマインドを持ったものに与えられる称号であると定義しています(少なくとも僕のブログでは)。
それによって健常者の皆様のドヤタイミングを奪ってしまったなら失礼しました。でも、精神障害者に解されてしまうのであれば、ドヤれると思っていた皆様方の認識の方こそ改めるべきでしょう。「あ、それ私も分かるー。」とかで良いじゃないですか。
金の価値は人間の価値ではない。「死んだ方が効率的」の年齢に達したとき、果たしてこの障害となって妨害してくる連中は死を選べるのか。AIに最適管理なんかさせちゃったら、人類皆殺しエンドになるのは様々な創作物ですでに触れられているはず‥。
僕はコイツラのうち一人でも良いから確実にカウンターを決めたいと思っていますが、それは20年後でも40年後でも構わない。果たして、今と同じ価値を保てているかな‥?その時に自分の無価値すら理解できない状態にもし成り果ててしまっていたら、僕が「解説」して差し上げてもよろしいですよ‥!
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