カラオケの一部の採点コンテンツだとリアルタイムで点数が表示されたりしますが、間奏で減点されたりするのちょっと厳しいよなと思っています。いや、「間奏でのマイクパフォーマンスやダンスパフォーマンス」によって加点やコメントが変わること自体は知っています。しかし、それはやった人に加点すれば良いのであって、「何もしない」を減点するのは行き過ぎでは‥?それとも、採点コンテンツを選択してしまった時点で、僕もパフォーマーの一人ではあるのか‥?
ラブソングの合間に歌詞の背景に沿ったイチャコラを繰り広げられないソロチャレンジャー。それでも可能なパフォーマンスとは‥?採点AIは今までの僕の経緯まで含めたボヤキを、ちゃんと余さず拾ってくれるのか‥?といえば、案外ちゃんと拾ってくれたりするので末恐ろしい。もはや、そういった表現の部分まで採点が可能な世の中なんですよね‥ちょっと敷居高くなっちゃってる感が若干しますが。
「何もしない」を僕が選択している時、普通に真面目に歌いたいのだとちょっと察して欲しい所です。だからといって、意図してふざけている部分もやっぱり別に真面目に歌ってはいるのですが‥。
まあそれは置いておいて、ちょっと長らく疑問に思っている部分があります。”絆”とは何か。「糸」が「意図」として、同じ→が二人を繋げたとき‥?とも取れますが、普通に「その槍で僕を貫きたいのであれば、僕に向けた殺意の理由を説明してくれ。納得できるならば、受けてたとう」みたいな意味かもしれない。そうすると横棒の部分はいわゆるノリというか、モザイクの部分ですね。
「言っても分からんだろう」を積み重ね続けるのは良くない。「絆」を僕が判らないのは、「絆をわかる側の人」が「ちょっと無理して自分を鼓舞し、逆境に立ち向かう感じ」が判らないみたいなものなのかもしれません。え?全部絆で簡単に解決できるじゃん!みたいなもの。一昔前に流行ったトレース・オンみたいなもんだろ、割と親しまれた感覚だと思ってたのに‥。
まあ、「誰一人として置いてかねぇ!」とか言われても、「いや、僕ここに定住したいんですけど‥」という人だっている。そして、隣町に行くだけで永遠の別れになる人だっている。隣町ではかつての仲間が別によろしくやっているかもしれない。ですが、僕が隣町の境を超える架け橋となるときは、永遠に来ないでしょう。「自分が参加しないタイプの絆」だったらまあ別にわかるけど、カラオケとなると僕は参加者ではありますからね。
もう少し力を抜けば、このブログを閲覧した時点で”縁”ができた一種の”絆”とも呼べるのかもしれません。それが前述のとおり、「僕に加害の意思を向けるタイプの物」だとしても。すれ違っても、無駄な努力でも、すでに定まった未来でも良い。ただただ、幸せになりたい‥!
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