さて‥。「金に物を言わせて食料や住居、衣服を確保しているのは自分だって同じ。金持ちは”それ”が多種多様なだけ」と考えれば、「本人の同意のもとに成り立っているのか」「犯罪行為・人道に反する行為かどうか」はともかく、やっていること自体は同一と考えても良いのでしょう。「ルールは変える方が強い。旧きルールに反するかどうかなど俺は知らん。なぜならハローマイワールド。今を生きる俺がルールだからだ」という説が正しいとすれば、いかに効率よくルールに従うか、そしてそれがいかに実態とも合致するかどうかを気にしている勢など、いわゆる「賢くない」と言えるのでしょう。馬鹿だと命すら失う時代があった。生きられるルールにして頂いている現代に乾杯。
ダジャレや下ネタなど、昔は直接物を言うことが許されない立場で、負け惜しみの捨て台詞のようなものだったものが、いつしか「逆に風流」として貴族が遊びとして取り入れてしまったことにより、むしろ平民は「ストレートを心掛けるもの」という意識が芽生えてしまったのかもしれません。とはいえ今もなお貴族として終わりなきマウント合戦で天下一を目指している人にとって、「ストレート・トーラー」は本来強者がするものと言うならわしの中でなお生きており、群衆の中に紛れているつもりの麗しき身分の人間にとって僕のような存在は「鼻につく」と言わざるを得ないのかもしれません。
なんとなく音程とテンションが合っていれば、間違っていても正しくも聞こえる。逆に半笑いでしゃべくっていれば、パーフェクト理論であっても減点対象となる。そのあいまいなボーダーをきっちりぎりぎりまで踏み踏みできるのが強者の踏みつけであり、逆にその挑発にさえ乗らなければ僕だってカウンターチャンスは生まれ得る。
アウトか‥?セーフか‥?そう……。いいんだよッ‥!
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