力を入れるべき所で抜き、変な所で急に力を入れ始める。人によっては僕はそんな風に見えているのかもしれませんが、単純な逆張り思想ではなく、「一種類の解法しか想定されていないが全然別解が存在する練り込みの浅いトラップ」を仕掛けられると「この方法で解いてしまっても構わんのだろう?」したくなる性分というか。トラップではないと判断すれば、別に想定通りの言動を取ることにもやぶさかではございません。
詰将棋とかを解く際、複数回答が存在したらややこしいし答えを並べる際にも面倒。極力、一つに定まるほうが望ましいとされますよね。ところが、そうすると実戦に現れる形とはかけ離れたものになりがちではある。一つ一つの解法は実戦の中で活用していけるにせよ。
日常に仕掛けられるドッキリも、「ドッキリでした〜。」が存在すれば「良かろう。許す。」と言っても良いのですが、種明かしが存在しないまま日々は流れていく‥。寝て起きればこの感情もなくなっているのでしょうか。たねたねたねたね、よーくねた!タネマシンガンばかり上手くなる世界線は、僕にもあったのかも知れない。
「いや、偽りさえも本当にしてくれよ!そこ歌ってくれよ!」とある種楽しんでいた時期は僕にもありました‥。まだまだ知らないことがある。そこをまずは認め、大人しく想定解に収まる器でしかないと屈するのも、それもまた人生‥。逆張りを逆張りしてるだけの心も理解しないアンチに負けるな。
その心は‥?持った上で言っているのならば、良かろう、我が許そう‥!
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