「存在すること」が価値ならば、それは愛だッ‥!

「もう本やネットに大抵のことは書いてあるんだから暗記とか勉強とかしなくて良い」という説がかなり昔にも存在しました。AIが大抵のことはやってくれるようになったとはいえ、玄関先に届いた荷物を所定の場所に運ぶのすらAIがやってくれるのか?と言えば、人間が物理で運ぶわけですし。

体が持ち込み可能、と言う概念は分かりやすいと思います。それの発展形で、持ち運び可能なちょっとした小道具をいつも持っておけばやれることは格段に増えるし、「いつでもすぐに対応可能」というスタンバイ状態は仕事でなくとも備えておかなければならない人間的スキルの一つ。

AIに絵が描けるからと言って、スマホもなしに今すぐ紙に絵を描いてくれ、と言われて描けるスキルはスポーツのごとく、ある種競技的にもなり得るスキルと言って間違いないのではないでしょうか。とっくの昔に機械の方が高馬力でも、まだまだ体を鍛えることって廃れないじゃないですか。口笛を吹けることだってかつては必要なスキルだった。ならば、突然アカペラで歌いだせることだってスキルの一つ。

商売にするなら、「それを人間の手で行うこと」に付加価値が存在しないといけませんが。自動娼館が出来たら流行るのか?それともやっぱり人間が良いのか?みたいな論。一部の人は、「それなら人間である必要ってないよね‥」となるのはどうしても避けられず防げない部分でしょう。

僕の文章に価値は付かないでしょう。たとえ今後とも事実ベースの個人情報が含まれた状態だとしても、別にそれがオリジナリティというわけでもない。

そしてAIでもいいなら「事実ベースである必要すらない」ということ。納得できれば、耳触りが良ければ、そして今後の生活に微塵も影響を及ぼさないのであれば、別に嘘でもなんら問題ないのでしょう。しかし僕は生き続けていく。関わらざるを得ないからには、僕自身の正直ベースを磨き続ける――!

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