悪名は無名に勝ると言いますが、「犯罪の恐れがある要警戒人物」と、「護衛の必要がある超重要人物」はどちらも厳格な監視が必要なわけで、そこにどれだけの違いがあるのでしょうか。まあ、「多少の自由があるかどうか」「自ら護衛を解除可能かどうか」みたいな違いはあれど、普段はあまり変わらない言動が求められるとも言えますよね。
この監視を逆利用することで、ある種の自由を創り出すことができないか。そういった試みの一つがこのブログであり、必要以上に注目が集まってしまえばむしろ僕が得してしまう、という仕組みづくりがようやく整いつつあると言えます。僕自身が看板になることだ‥。
「リアルコンバージョン!」「あなたのハートにダイレクトリンク!」みたいなことは僕には向いていない。そんなのが得意なら最初からラーメン部とかには喜んで乗っかってるわけで‥。家でカップヌードルでも食べてぬくぬくしてますよ、クリスマスシーズンは。
監視が続いているから、正しくあろうとするのは一つの事実としては存在します。しかし、それは法律が存在するから正しくあろうとする健常者だって同じはず。どこまでが白なのか。どこからがグレーなのか。それとも、監視のその先に、「透明人間」となるかのようなネットワーク切断状態も存在するのでしょうか。
ボトルネックは物理ネットワーク。モニターやらGPUやら強化してもしょうがない‥。ただの踏み台で終わるな。広告塔で終わるな。僕自身が価値のある”商品”であるためにッ‥!
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