真の心だって‥?ワーカーなんて所詮第三の存在‥!

消極的自衛も段階が進めば積極的加害へと変わってしまうのでしょうか。「目的地」が存在するのならば、どこかに止まるべき場所がありますよね。

その生活を維持していくために必要な対抗力としての意志能力。willが近いのかなと思いつつも形や言葉にしようとするとなんか違うよな‥となる。

「貰えるもんは貰う」の精神すら新しいと感じた時期もありましたが、「日本は制覇した。次は世界だ」みたいなのは「別に一発目から宇宙狙っても良いのでは‥?」と思いつつも、彼ら彼女らもそういう思いはありつつ「グッと堪えて」“世界”で我慢しといてやるか、というテンションなのかもしれません。

複合された意味を持つものもある程度は分解できるんでしょうけど、“愛”一つ取っても人によっては逆の意味にすらなり得る。日常的に全く異なる実践を重ね続けている人とは、言葉は通じない方がむしろ自然なのかもしれません。

例えば素行ってなんでしょう。“普段の行い”と言われれば別に「この人が知覚できる範囲の僕を“評価”しようとする言葉だな」とさほど反発はしませんが、“素行”と言われれば「完全に“結論ありき”の決めつけじゃん‥。」と全国ならお前一人で転職でもしてから狙ってくれよ、と思わざるを得ない。それだけの給料が出るのならともかく‥。

金以外の報酬が前提となりすぎているのが良くない。受け取る心とは‥?合法的にお賃金でお願いしますっ‥!

コメント