株が下がることに一喜一憂していた己を恥じます

ここ最近で気になっていた言説、「平等なんて綺麗ごと」「いや、能力とかじゃないんすよ、そういうの判断基準にしてない」という2つ。反論という形になりますが、自分なりにこの2つについて考えていきたいと思います。

平等に関して、特に日本人的発想かもしれませんが、「自分の方が不利な立場なのにそれを覆して逆転した」というストーリーを好みがち。被害者素振りを基本攻撃スタイルにしている現代のSNSにもよく表れています。外から見たら全く同一のことをしているように見えても、一人一人は「同じではない」と思いながら生きている。実質平等な制度が整っている界隈ですら、「不平等」を感じちゃっているのです。

たとえば初見のパーティーゲームをみんなでやるならある程度平等ですよね。資格試験も実務経験が必須ではないものは誰でも受験可能な平等なものも多い。カラオケも余程機材にこだわりがあるとかで無ければ普通平等。そこでなんか面白みであったり個性を出そうとしてしまうから、「同じではない」としてしまうのではないでしょうか。

そこで、いっそそういう「能力は判断基準じゃないんスよ」を取り出せば良い。例えば簿記1級を「勃起1級持ってますんで」という一発ギャグのためだけに取得する人も別にいないわけではないでしょう。前にも言いましたが、僕自身は建設業彼氏2級しか持っていないので「なにを建てるんだー?」との問いに自信満々に即答することはできません‥。取れる取れないではなく、ある種その一瞬の出オチのためだけに相応の時間をかけられるプロ根性には素直に負けを認めざるを得ません。

現実問題として建設業経理士の方を建設業や不動産業では優遇している場合もあるし、かといって現実は資格として加点されるようなケースは稀なので別に必要というわけではなかったりするのです。ただ、その不要の可能性が高いわずかな必要性のためだけにプライベートの一手間を掛けている、という点ではある種「同質の仕事」、「必要な遊び」というものかもしれません。

「~~と同じ‥。」といってガッカリされる立場の人間からすれば、最大限の侮辱は「この”僕”と同質ですよ」という部分を突き付けてやることかなと最近は思っています。いや、これが悪意になってしまうことがすでに平等ではないのですが。

エッセンシャルワークは能力で回っている。仕事なんだから。しかし「そういうの必要ないんで」という人が存在するからには、確かな事実として「能力とか別に全く持って関係ない仕事」が確実に結構大量に世の中に存在してしまっているということ‥。例えば、このブログなんかはその代表格ですよね。「自分より格下」を見たくて見たくてしょうがない、という需要も存在するのですから。ある種、夢を見させる仕事とはこういったライティングもそうなのかもしれません。

電験1種は正直、「男根1種」「マンボルト」のギャグのためだけに取るわけではありません。エッセンシャルではないけれど、不要の可能性が高いけれど、将来的にそういった施設が増えていく可能性を考慮して。資格者自体は一定数いるわけだから。それを目指すための努力自体は、別に皆と変わりない”同質のもの””平等なもの”と捉えても良いのではないでしょうか。

下の世界を見に来たのか‥?残念、僕の下部は絶賛上昇中。誰もが通るその道に、刻むスタンプ・エレクトリック‥。YES!YES!YES! Saving the world!

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