復習は義務ではありません。ただし情熱が溢れるのであればその限りではありません。

まあ義務感からの調査、取材から構成された雑語り、つまり「ちょっとネタを求めて無理に捻り出された感想」こそ不快に思われるものはないとは感じています。せめて自分の体験のみで語るならまだしも、「微妙に他人の領域にまで踏み込んでいる」からこそ、その興味ない相手へのナンパのごとく熱意・情熱のない感じは失礼にあたってしまうのでしょう。

別に僕がもはや忙しい人間ではなくなっているのも事実です。ライトノベルとか何度も読み直していた時期よりむしろ今の方が暇とすら言える。とはいっても時間が余ってるなら勉強しなきゃな‥とか思うし、カラオケもいっときたいしな‥とも思う。プレイヤー、読者としてのゲーム、読書を「勉強」にはしたくないという想いはあるが、ブログのネタにしてしまうなら実質「勉強みたいなもん」になってしまうんだろうなと思う。というか本来はもっと気を遣って色々各方面に配慮しながら書くもんだろうし‥。

幻聴がひどい時は幻聴への反論だけで時間が浪費されてしまうというのはあります。肉体的制限も幻触まで行かなくとも付加されることがあるし、病的な症状により「見かけ上より忙しい」というのは微妙に考慮されない部分で損はしている。だからといって情熱が衰えているのはそれとは関係ない部分だし、単なる疲れであったり、飽きが来ているのに新たなものに挑まないチャレンジスピリッツの無さによる部分なのでしょう。

別に情熱があることだけが正しいことではない。超絶アンチにも変わり得るということだし、本来なんのマイナスにもならない部分で「感性」により発憤してしまうという人間になってしまう。愛なんてないほうが続くよ、3番目くらいに好きな人が良いよ、とかかつて良く言われていましたよね。

でもそれって生きているのだろうか。死にたくなってしまわないだろうか。今僕が活きているのは、何かに愛を感じているからなのではないのか‥。真実に吐いても生きていく。チャレンジスピリッツ?愛の1級取ってから言わないとね‥!

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