お互いに見下すくらいで丁度良い‥(角度の話)。

最近、好かれようとする努力ばかりしていないだろうか‥。「100%嫌われることができるのはある意味才能」との言葉には、ある種の救いがあります。それだけ相手では成し得ない性質を帯びているということでもありますからね。

意図して煽ろうとすれば、ちょっと攻撃過剰になってしまいがちな僕です。一応抑えていても、性格の悪さみたいなものは滲み出ているんでしょうね‥。

しかし嫌いって何でしょう。能力が劣っている相手には同じ「嫌い」でも、「見下す」などを使いますよね。恵まれし環境で生きている上層の人間への反骨精神が「嫌い」なのでしょうか。「陽キャ嫌い」みたいなのは、間違いなく陽キャの方が収入が高くなるし幸福度も高く、育ちも良いことが多いですからね。

ということは、能力が圧倒的に突き抜ければ、「嫌い」は存在しないことになります。周りは全て弱者になり、攻撃しようものなら差別になりますし。なにもかも見下すような言動を取っている人が案外コミュ強だったりするのは、別に「嫌い」というわけではないからかもしれません。

カブトムシは許せるけどセミは許せない人は、狭い街中においてセミの飛翔能力は「強者側」であるためでしょう。当たると痛いし。カブトムシはそんなにぽんぽん大量発生しないし。

嫌っているうちはド三流‥。ちょっと上から行くくらいの「偉そう」が、親しみだといえるのかもしれませんね‥!

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