別に真に楽しいわけじゃなくても、稼げるわけじゃなくても、僕には必要。大して得もしないのに目立つだけでディスられるんですか‥?

AIの話で「電気が必要!」みたいに逆に変な注目を浴びちゃったせいで、僕の電験1種受験日記にこそ興味を持っている層が多少存在するのかもしれません。前にも書きましたが、電力科目の補強を兼ねて1級ボイラーと危険物取扱者甲種の勉強に逸れていますので、今はたまに電技解釈をパラパラめくるときがあるくらいです。内線規程とか建築消防とかの古いバージョンは持ってるけど、一々毎回買い直すのはちょいとリッチムーブなので控えてはいます。

まあそれを言ったら資格取得なんて無駄金と思う層がいるのも事実ではあるでしょうし、もういっそ技能五輪のごとく「草野球とかフットサルみたいなもん。機械の方がパワーはあるでしょ?でもそれを人間で体現することに感動が生まれるわけじゃん。機械でもできる=人間でやる必要がないではないよ」と主張していく第二第三の僕がいてもおかしくありません。「自分で知っている、自分でできる」が趣味として老後の余生のようなものであったとしても、何も不思議ではない。仕事でなくなっても続けていくことを、現時点でやることに文句を言われる筋合いはない。ライフワークとは良く言ったもの‥。

とはいっても、電験「1」種を目指すのは2・3が上位系の資格ならともかく、少なくとも「トップを目指す」という行為と捉えられても仕方がない。逆に、堂々と「え、目指してますよ、トップ。乳首要らないって言うんですか、あなた?」と言える漢らしさこそがトップのトップたる由縁という昔ながらの根性論も存在する。誤解がないように補足しておきますが、「毎年100人前後合格者が出る、別にチャンピオンでもなんでもない称号」であることは明確にしておかなければいけません。なんなら、今後仕事をしていくAI時代のトップを走るかもしれない世代が当たり前に履修するかもしれない、僕らですら必修の「共通言語」になる可能性もある。

以前に、「とはいっても、”共通にならない域”、つまり”逆”を目指しているように見えるよ、貴方は?」と痛い所を突かれたことも記憶に新しいです。何を言っても逆に取られ、悪意に見えるように仕掛けられてしまうならば、もう最初から逆でも良い。住宅街も昔は閑静だったかもしれないが、もはや人が集まる不特定多数スポットみたくなってしまったとき、もう僕の住みたい街ではなくなったと言えるのかもしれません。

部落ジョークが通じるのは、面白いから。単なる旅人にそんな話を永遠としても「最近のバラエティは内輪ネタばかり‥」となるだけ。その楽しみ部分をできるだけ損なわないように、心地良い変化と視点を添えることが出来たら‥。自虐ですら、「僕がなんの人か」が全く関係ない人にとっては、「説明から要る」場合もある。

改めて、示しておきましょう。全国を目指しているわけでも、トップやチャンプを目指しているわけでもない。求められれば即座にお出しできるような、隠し芸のようなもの‥。ポケットに入る程度の、道具を使っても構いませんよ。響け!僕のバタフライエフェクト‥!

コメント