”愛し”が解答ではない‥。僕の電磁気力で物理的に解凍するのだッ‥!

愛だの恋だのの要素が創作物には必ず入り込むように、精神病要素も多くの作品に取り入れられています。果たしてなぜなんでしょうか。

情報が入手しづらかった頃で言えば常識とは一風変わった一面を取り入れる香辛料のようなものとして使われていたのかもしれませんが、今では元ネタが”それ”とは知らずに話を膨らませるテクニックの一つとして、過去の作品への言及感覚で使用されている可能性もあります。

しかし精神病要素って、果たして愛だの恋だのと何が違うの?と思う人もいるでしょう。本気で恋愛すれば病みもするし、妨害による嫌がらせも受ける。起きている事象自体はナチュラル・ハイのごとく、ナチュラルな恋愛でも起きうることなのかもしれません。

こう書くと「精神を病む方が”濃い”恋愛体験だとでも言いたいのか!ハイ・エナジー準位がパッションタイムしているとでも言うつもりか!」と言い出す人が出て来そうなので物理的には薬物使用者と混同されがちでもあり、刺激される部位は似たような部分でもあり、普通恋愛でも別に起きうるはずである、ということを主張しているだけということに注意してください(にゃんにゃんぷりーず)。地中や海中の方が適正が高い人だっている‥高い高いしているばかりがすべてではない。

前置きが長くなりましたが、つまり精神病と闘っていくヒントが、普通に創作物にも詰まっているはずということを言いたかっただけです。お話の都合上まとまりやすくなるように、実際に起きているはずの事象からは若干改変がされている。関係各所への配慮ももちろん工夫されている。だからといって、複数の作品が共通して示しているはずのクリティカルな要素は、やはり”真実”なのだと、僕は思うわけです。

もはや当たり前のように出現するテレパシーだって、昔は信じられない幻聴でしかなかったはずですよね‥?まあ、今や技術が進み逆に嫌がらせ用途の方が増えてしまった感はありますが‥。

それひとつが何かを示しているなどと、惑わされることはない。でもいつかは当たる宝くじを購入するがごとく、そんな”答え”を探しながら創作世界を漂流するのもまた、面白いかもしれませんね‥!

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