習慣として取り入れてはいるけど、別になくても困らないものってありますよね。例えば毎朝アクリルスタンドに数秒の祈りを捧げる習慣があったとして、別にやらなくとも誰も困らないじゃないですか。しかし、その意図が判らない人にとっては「これを欠かしたら世界が終ってしまうのかもしれない‥!」くらいの危機感を本気で持ってしまったとしてもおかしくはない。「そんなのSNSで十分だよ」くらいの認識の人だっていつつ、「この人は祈りによって存在を許されている。その均衡が崩れたとき、その瞬間”無敵の人”として必ずや社会に害を為すであろう」という認識の人だって別にリアルに存在する。
僕にとってのカラオケはもはや”そう”なんですよね。子供のころから続けてきた趣味と言うわけでもない、7つ並べたカテゴリの中では”仕事”や”資格”などの勉強がベースになっているものと若干異なり、むしろ”ブログ”に近い項目。「メンタルを崩しているからこそ必要なだけで、別に生きるのに必須と言うわけではない」といった代物。しかしこれがなかったら僕って果たして文化的生活を送っていると言えるのか?という疑問は湧く。ブログを書いているから、ゲームをしているから、カラオケに定期的に行っているから、ある種しっかり「遊びの余力がある」を示せているわけであって、実際に新卒の業務負荷が上がってきた時期なんて食ってるか働いてるか寝てるか、一応時にシャワー、くらいのもんだったし。あの生活を続けていれば性欲が強くない僕も間違いなく禿げていたし、そういった意味でもそんなに積極的に禿げ弄りはしたくない僕です。馬鹿や貧弱は後天的に改善はできるから、そういった言葉を多用する人は「ああ、弱者としか接してこなかった人生イージーモードを過ごしてきたんだな‥」という感想しか湧いてきませんが。
あるいは、「自分が言われて嫌だった言葉を、相手に適さないにも関わらず多用している」というケースも存在するのかもしれません。僕って「素行が悪い」なんて言われる素行の悪さは存在しないので「?」となる言葉なのですが、僕への悪口として今の上司はこれを好んでいるようです(多分、調べまくれば何か一つは”素行の悪さ”が出てくるはずだ、と信じて疑っておらず、これまでもその手法で生きてきたのでしょう)。僕も僕で、機械設備を扱う仕事でありながら高性能PCを馬鹿にしている、人間に対しても馬鹿馬鹿連呼する、わからないことに関して素直にわからないと言わない、といった”素行”をしっかり見させてもらっています。もちろん、いちいち報告とかしませんがね‥。僕にメリット一切ないし。むしろ上司がしごできすぎるのも自分の仕事が増える結果になりかねないので避けたいですし。
歌詞を音程をしっかりなぞりながら唱えるごとく、何度も何度もその”暗示”を跳ね返してむしろ僕が伝えていかなければいけない使命を帯びているのかもしれません。問題現場解決人として‥。ならばなろう。僕がその”必要悪”に‥!
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