「精神病の取得した資格や学歴は不当!健常者と同じ物差しで比較すべきではない」が正しいとすると、一定の年数以降に発症するタイプの障害だとそれ以前までのものは正当だということになります。一応、「健常者歴」だって人並みには存在することを忘れて頂きたくはない‥。
育ってきた環境がその人を示すのか。それとも、遺伝子のみで十分なのか。自分の立場はどこかに存在しなければいけないわけで、「いえいえ、どっちも己を構成する要素の一部なんだから併記すれば良いだけでしょう」とはいかない。どちらを強調したいのか、と言う部分は誰しも持っているはず。
組み立ての技術の方が高難易度な事もある。しかし、その培われた遺伝子の方が個性な事もある。割と工程上は設計の方が上流とされますが、「現場で起きてるんだ!」理論は根強く、施工の方が決定権を持っている場合も多い。設計意図を汲み取ろうと努力することは、別に設計者に成りたいからではないでしょう。「何を思ってこんなとこにこんなもん付けようとするんだ‥?」ということは知っていないと、永遠に超絶無駄な作業をやらされる可能性はあるわけで、同じくどう施工するかを知っておけば設計時点で考慮しておけるレベルの話かもしれない。
猫耳が必ずしも必要ですか?真面目な話している時には、むしろ邪魔かもしれない。「お前、真面目な一本気っぽい語り口で、猫耳かよ‥!」とのツッコミ待ちギャグだとしたらアリかもしれませんが、その隙は別に好きポイントではないかもしれない‥。
しかし。数多の設計変更を経てなお残った猫耳であれば、それは深淵な理由で必要不可欠なのでしょう。むしろそっちが本体なのだ。”本質”なのだ‥。
かつてネクタイは三角巾用途も兼ね、プライベートでも鉢巻きとして活用する練習がサラリーマンには必須だったと聞きます。遠隔で改造手術が受けられる時代、己の潔白を示すものはなんなのか。衣服は救命時に破りやすいものとするパターンもあるようですが、帯回しの「あーれ~~~」みたいな旧時代の遊びとしての破幻術力が衰えたもののために、「少し低強度なものも残しておくか‥」という陰謀論は存在はしているようです。
能ある鷹は日々爪を切っておかないと笑われると先輩に指導されたことがあります。器用さがあれば何ができる‥?そこまで求めるなら、控除金額をもっと増やしていくべきだッ‥!
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