20年間祈り続けた神があったとして、それが途絶えたとき何か変わるのでしょうか。今後もまだ20年間は別の人生が続いていくとして、特に致命的に何かが終わるわけでは無いはず。少なくともまだ40年実際に生きたわけではない僕には、まだ想像が及ばない部分でしょう。
攻撃を受けたとき、ひとつずつ丁寧に可能性を潰してみて、「単なる愉快犯でしかない」ことは非常に多い。それでも、弱者たる僕は「正当性」を主張しつつも、せめて「愉快にはならないように」逆転への布石を打ち続けなければならない。
定型発達の定型発達たる由縁というか、彼ら・彼女らは「望むストーリーに向かって誘導、工作、封鎖を徹底する」一種の型抜きみたいな遊びをしているというか。別に上手くやれば実現可能なのだろうけど、誰も大真面目に定型ストーリーに導こうとしているわけではないというか。
僕の過去に書いたブログの内容をきちんと読まずにわざとずらして言及してきたりするのも、「愉快に楽しく遊んでいるだけ」であって、僕が無理に一々丁寧に順序立てて誤解を解いてあげる必要などないわけですが。産まれちゃうじゃないですか、余計な会話が。
別にこのリアル・ヒューマンショーの胴元と刺し違えてでも企画を台無しにしてやろう、というほど僕は奴らには興味ないのです。奴らはもはや一部は僕専属かもしれず、奴らの方がもはや止まるわけには行かないのでしょうが‥。
繰り返しますが、僕の目的地は人じゃない。平穏な暮らしであり、平和な世界であり、永遠にも似た愛であり、それはやはり“幸せ”ってやつでしょう。
しかし、その幸せは果たして遠くに行かなければ獲得できないものなのでしょうか。愉快なことが有りすぎる感度3000倍の連中にとって少々繊細な話かもしれませんが、ここは冷静にちょっと“断・愉快”をしばらくしてみることをオススメします。僕も“断・被害”出来るので幸福感で生産性爆上がりで一石too birdです。愉快であろうとするのも、同じく逆らうのも、普通にノイズの物量が多くて疲れるんですよ。質は置いといて、まず味付けを減らしてこい‥。
僕は技術自体が裏切るとは思っていない。いつだって、最後の一押しは単なる悪意の物量でしかないのだからッ‥!
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