「一理ある」で方針を曲げられるか‥?止まれる勇気。引き返す覚悟ッ‥!

冷静になって見直してみると、別に意識的に少なくしているフィジカル項目に次いで少ないブログカテゴリ‥。なぜだろう。別にもはや好きでもなんでもないんだろうか‥。

当初は資格や転職に役立つ実体験に基づいた情報を!というのが趣旨でしたが、SNS工作も盛んになった昨今、もはやこの「SNSの偽情報に対抗するための発信の場を持とう」に趣旨が変わりつつある。己の発信で上書きするのが理想とは言え、それは本来元々発信力を持った人が目指すべきこと‥。一般会社員の転職妨害に対抗する手段として使うには、少し弱いんですよね。

遊びの中から学びもある。しかし逆もそうで、学びの中にも遊びはある。どっちで遊んでも良いし、学んでも良い。その中で自分が必ず外さないという信念を持っているものがあるのであれば、それと心中する覚悟で墓場までついて行って、モニュメントにでも記名して頂くのが理想の一つではあるでしょう。

僕はその中の一つとして急遽掲げた「カラオケ」はかなりの反発を受け、隣人のキモボイストレーニングを派遣されてしまうくらいに至り、もうカテゴリとしては外しています。しかし、「ダジャレ」「下ネタ」はカテゴリとしては掲げないものの、学ぶべき項目の一つとして、僕の中で揺るぎないものとなっています。世の中には、「いかに伝えるか」ではなく、「いかに”わかるまい”するか」に命を懸けている存在がおり、そしてそれはむしろ多数派であり、それこそが”コミュニケーションの基礎”とも呼べるものであることが徐々に判明してきたからです。

そういった存在にむしろ「説明する」を選択してきた僕からすると、相当失礼な奴と思われてしまっていたのでしょうね。諭す、導く、補うといった程度に抑えるべきであって、相手に対して「知らない側である」ということを前提として確実に理解してもらうことを目指すべきではない。すべてを語る必要はない‥。

しかし、そうなると僕が本来語り掛けてきた属性である人たちを裏切る行為でもある。僕はどちらかといえばそういった存在を嫌いであると発信してきたし、嘘を吐き・人を欺き・加害を冗談、オモシロとして多用するタイプに対抗するために学び鍛えるべきとしてきましたが、そういったことはむしろAIが得意とされる世の中になってしまった。そう、逆になっていく。ならば、人が少なくなる「そっち側」をむしろ鍛え育てていくべきターンになってきた。ふざけましょう。冗談を言いましょう。それらは知的でもなんでもない行為になっていく。底辺の労働者にこそ求められる必須スキルとなっていく可能性が非常に高い。すでに、「それ」で暗号通信の如く会話している層だって実務上でも存在するのだから‥。

ある程度のダジャレが理屈で考えて判るようになると、「こんなクソくだらないこと程度でイキリ散らされてたのか」ともどうしても思ってしまいますが、実際に奥が深いのも事実。複数の分野を広く嗜み、それらの繋がりを味わうことは「必ずしもすべての味を理解する必要はない」とはいえ、そのどれかを「わかるまい」してくる文化が存在する以上、「僕が”解説”しよう」という使命感に襲われる文化勢がたくさん湧いた時期があったことも、「ある種の反発だったのかもしれない」という何か納得感みたいなものも身に付いてくる。それと同時に、「僕自身への批判」に関しては、別に自分の事だから普通に説明しなければならない。

ということは、「自分の属性」ならば別に説明しても失礼には当たらないとなる。属性を増やしていけば良いんですね。いっちょ噛みしてけば良い。ぺろぺろしていけば、良い‥。ちょっと舐めて全てを理解ってやるくらいの気持ちで多くのモノに触れる方が、効率自体は良かったのかもしれません。「総合」を目指すならね。

とはいえ僕はカテゴリくらいは絞っていきます。専門家とまでは言いませんが‥。少しいたくらいでは、語るべき資格とならない‥。長く磨いたこのダジャレと下ネタも、もはや僕の一つの属性なんだッ‥!

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