昔は読書と言えば「古語か何かかな?」レベルの読解力が求められるものが多かったような気がしますが、最近はライトノベルくらいわかりやすさが求められるとされる文化があるようです。ライトとは何か?絵があるかないかか?かる~~~い感じとは何か。麻雀や将棋だって、ゲームとしてはもはや逆に「軽い」のかもしれませんが、古ければ重いのか?あるいは軽いのかは、勉強的なものと遊び的なものでは逆転してしまうのかもしれません。
「ゲームに超細かいグロ映像とか、緻密な汚物とかを求めているわけじゃないよ‥」という層もいると思いますが、一方それがなければ悪趣味を「実行」してしまう層もいるのかもしれない。趣味が細分化された昨今、人のやることなすことにケチを付け続けるのは少々度が過ぎた行為とも言えるでしょう。生きているだけで無一文でも誰かに「助けられてしまう」側の人間からすれば、ゲームの世界で位しか縛りプレイなんてできないでしょうし。性的な縛りプレイなら別にやり放題でしょうけど、その層は‥。
まあ話は逸れましたが、技術書にしても数式にしても、「もうここまではすでに過去の偉人が考えたので、省略可能です」を活用しているケースは多い。それを全て習得していくには時間がいくらあっても足りない。言葉にしても、「そのまま母国語単独でも過去の翻訳者がダジャレになるようにしてくれている」ケースは多い。無理にダジャレにしなくても良かったんだ‥。日本語でOK‥。
古典やクラシックもどんどん進み、「も‥もうこの作品ネタが通じない世代がいるだとッ‥!?」みたいなケースも増えてきた。時間は平等に流れていく‥。仮にその時代を行き来できるような通訳者のような存在がいたとして、中程度の年齢でないと若作りにも若造にもなる微妙な塩梅‥。
しかし歳を取ることを後退とは考えたくはない。自主的に振り返って学び直しても良いのだから。マナーとして、ぶつかりおじさんにならないように‥。メンタルぶつかりおじさんも含めて。しかしここはどこかご存じか。ひっそりしっぽりとやっている、個人ブログとはここのことであるッ‥!
コメント