お手本通りのピンフなんて安手さ

善玉菌‥善玉菌‥。そんな強迫観念にとらわれていた時期が僕にもあります。しかしある時気付いたんです。そう、僕に足りなかったのはむしろ悪玉菌‥。一人暮らしだと不足しがちなのはむしろ直球に体が欲するはずの肉‥。食ってておかしくないはずのものを食ってないからおかしなずれが発生する‥。それはもしかすると、心の問題にも言えることなのかもしれません。

精神障害者からすると「心まで障害者になるな」はひどい暴言なのですが、健常者からすると「むしろ障害者を励ます綺麗な言葉」にしか見えないようです。自分の「心」を基準に考えたとき、むしろ卑怯な嫌がらせを集団で繰り返し犯罪は無実の人間に擦り付ける健常者こそがなんらかの障害アリとしか思えないのですが、それゆえに「だったら僕は心の障害者で問題ない」という結論に達する。そんな悪の心を当たり前として宿すことが健常な精神なら、完治など目指すべきものではない。

しかし健全過ぎる精神は害にすらなる。うちの近所のペットボトル回収時間は8時きっかり規則通り‥。他のゴミ回収が遅れて当たり前の中、真面目一徹几帳面‥。正しい。圧倒的に正しい。正義清潔清廉潔白。しかし遅起きには辛い時もある‥。ゆるい時間帯の方が助かることもある‥。そっちの方がむしろ「正義」であることも、ある‥。

心の障害者でも良い。でも、健常者の精神だって、一応わからないわけではないのです。理論立てて考えれば、なんらかの合理性も孕んでいるはずだから‥。そして僕にはまだ幻視は見えませんが、症状が進めばないとも言い切れない。断言するには条件が足りない‥。僕らの目指す先は、きっと同じもの‥「平和」のはずでしょう‥!

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