愛に資格は必要なのか。身分証明書がない時、果たして自分は自分として認めてもらえるのか。そう考えたとき、あるいは僕だってある種「身分制度に守られた」、恵まれた国民と言えるのかもしれません。
愛の証を示すことが生命の価値とは思わない。しかし、何かを残したい、何かを示したい、そして何かを「伝えたい」という気持ちは、終わりなき永遠の愛の闘争に巻き込まれるが如く、大きな勢力から妨害を受けてしまうほどの強く貴き精神により紡がれる「戦うこと」そのものなのかもしれません。
使命感とは「絶対に伝える」というある種の信念。大便‥いや、大義なのです。誰かがお花を摘んでいる間に、一歩も退かぬ果てなき闘志によって生まれる立ち上がる力を。義務なのか……?擦ることなく到達可能な天獄なのか。
このブログを見に来た人が何か一ワードでも気にかけてくれたのなら、僕だって産まれた意味があったというもの。名作である必要はない‥。たとえ一瞬でも刻まれたのならば、そこに僕の想いは伝わったのだから……!
コメント