「それAIに聞けば良くないですか?」という話を受けて、一応僕の考えを再度示しておきます。信条みたいなものでしょうか。もちろん、公開しても構わないと思っている範囲のものです。
第一に、コミュニケーションのある種の縮図はセルフレジのようなものだと思っています。どちらにも並んでいなかったとき、僕はセルフレジを選びます。ちょっと並んでるくらいだったら、別にセルフレジに並びます。しかしセルフレジ側が列をなして長時間かかりそうかつ有人レジが空いているのであれば、もしかしたら有人レジを使うこともあるかもしれません。完全にコミュニケーションを断ちたいと思っているわけではなく、「余計な手間はかけさせたくない」というのと、「自分でする方が楽なケースもある」というものの悪魔合体で「なんかこいつセルフレジしか使わないな」という状態ができあがったりします。当然、万引きを警戒されたりもします。
この前提を元に考えて頂きたいんです。「省けるコミュニケーションは省いた方が相手も助かるだろう」というもの。完全に0にすることなんて不可能だし、そうしたいわけではない。補充もあるし、購入品が偏ってたら‥。つまり、「AIに聞く」も僕は別にコミュニケーションの延長だと思っているので、「なら極力省いた方が良いか」と思っているということ。僕に合わせた回答が反映されてしまうのも、もしかしたらデメリットかもしれませんし。
しかし「このブログはコミュニケーションではないのか」という話にも発展する。これは「僕にとって省きたい部類のコミュニケーションではない」ということ。得意不得意の話であって、チャットやメールの方が好きな人がいれば電話を好む人もいて、はたまた対面にこだわる人だっているでしょう。思うに僕が好む最大の理由は、「名指しで話しかけているわけではない」「見に来ないを選べる」という点。「本を読む」に似通った部分です。別に本と並び立ちたいというわけではございませんが‥。
詳しい専門家に話を聞きまくるだけでも充分に熟練者のスキルは身に付くはずです。では書物である必要性ってなんでしょう。話すことでも「待ってもらいつつ計算式を解く」「一緒に練習する」みたいなことは別に可能なはず。僕は、これは「一人で黙々と自分のペースで読み進めることができる」だと思っています。それも、「自分のレスポンスが反映されていない状態のものを」です。もはや、「反映されていないことがメリット」であるケースも考えていた方が良いかもしれません。
僕が余計な茶々を入れてしまったせいで、話の大筋が変わってしまうのは避けたい。相手の言いたいことを綺麗にまとまった状態で知りたい。あるいは、AIでも良いかもしれないですが、僕はそれは対話だと感じてしまう。なので、本で学べる部分が大きい資格に結構こだわったり、もはや趣味と言うこともあるくらい古くなってしまった版の本も含めてある種貴重になるかもな、という思いはあります。自分の思考に合わせてリアルタイムで世界が改変されたら、地獄でしょう?あの当時から変わらない存在、そんなものを求めて古本を読むのも全然アリかもしれません。
ぶつかりおじさんを嫌いながら、ぶつかりAIするのもなんか違うなと思っているので‥。いや、僕らがぶつかりに行く側だから「ぶつかり人間」か‥。いつまでも変わらないままでいて欲しい‥。そんな情勢でないのはわかっていますが、ロボコンのごとく、eスポーツのごとく、もっと楽しい方法でくるっと解決できると嬉しいですね。真面目に言っていますよ‥!

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