「目の前の人とのコミュニケーションもろくにできないのに、語学なんて意味あるの?」とのお言葉を頂きました。ある程度はその通りとも言えますが、別にそんなに「積極的、攻撃的、加害的コミュニケーション」のみに使う必要ってあるのかな、と僕は思っています。
例えば短期で転職をしてきた僕ですが、1年未満で辞めたことは今までありません。学校ならばそこまで耐えればクラス替え等で救われる人もいるはず。目安としての長さを大体で示しましたが、自分なりに半年だったり、数か月あるいは数日の付き合いだってある種の耐久戦、それを凌げたのならば「別にできている」と自認しても十分だと思います。「突き合ってないのに付き合ったとか言わない!」という派閥もあると思いますが、望むコミュニケーションの方向性が違うということで‥。
「消極的、防御的、自衛的なコミュニケーション」であっても、「ただ平穏に暮らしたい」だけだとしても、最低限のコミュニケーションが必要となる。「仲良くなる」だけが目的じゃないんですよね。
「セルフレジって、万引きする以外の目的で使うの?」という勢が一定数いますが、普通にコミュニケーション負荷を減らせる点で、例え割引が使えなくなる損失すらあったとしても、僕はそちらを迷いなく選ぶでしょう。宅配ボックスがあっても置き配が通常だったりしますし、手間は少しでも減らしたいという需要はわかりますが、そんな万引きしていく客なんて多数存在しませんよ。多少コストがかかっても、もっとカメラを増設すべきですね。当然、「店員さんと”仲良く”なりたい!」という勢がむしろ多数派であることは僕もなんとなくわかってきたし、根本から考え方が違うな‥と感じてしまいますが。
「相手の目的地が何か」が判らなければ、道を譲ることも難しくなるでしょう?駅かもしれない。コンビニかもしれない。パチンコ屋かもしれない。あるいは、”僕自身”に真っすぐ突っ込んできているのかもしれない。少なくともどれかに絞ることが出来れば、躱すだけくらいならできるはず。理解しようとすることは、必ずしもぶつかりに行くことばかり狙っているわけではない。なんなら、スムーズな交通を目指していることもある。
なので、「仲良くならなくとも」必要なんですよ。平穏に暮らすためには‥。もちろんそんなこと関係なく、ブログにダジャレとして活用したり、カラオケで海外ソングを歌ってみたり、とかで趣味的に活用したい面もありますが。良いんですよ、フォロワー=戦闘力のごとく、仲良くなる=強いみたいに捉えなくとも‥。距離感を置ける優しさ。無関心であれる心強さ。そういったものを、僕の中に築いていきたい‥!
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