僕の「世界」が狭いだけで、奴らの「世界」はきっと広いのでしょう

仕事って時給換算でしょうか。月給換算?それとも、年収換算でしょうか。秒速換算ならその一瞬に限り高時給換算することも可能かもしれない‥。まあ、その一瞬が一時間継続して続けられるものなら、ですが‥。

一日換算で言えばある種今日の僕は働いたと言えるかもしれない。しかし365日、毎日毎日努力を継続できるか‥。それを十数年、いや、何十年と継続できるか。誰のために?自分のために?世界のために?まあ、自分の手の届く範囲が生活していけるためと思えば、一定範囲の「世界」と呼ぶこともできるのかもしれません。

「時間は誰にでも平等」そんな時代ですらなくなる可能性はあるのでしょうか。切り売りしたい‥。買いませんか?僕の時間。資格でも良いけど‥。

「ファイト」が、「戦うこと」が、本来頭の片隅にすらない「盲点」であることは、平和の証であり、それは誇ってすら良いことなのかもしれません。道具や技術に頼っても良い‥。生活していく方法は、一つにこだわる必要なんてないはずだから‥!

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