「歌うぞ、コラ!」と、何かの隠語のように歌が使われていたゲームには若干の衝撃を受けましたが、もちろん街中でいきなり歌い出すような人間などいない‥と思いきや、深夜の帰宅時に自転車で声を張り上げて歌っている人に遭遇してしまい、「そ‥そんなに”無理して”声張り上げても気持ち良くも楽しくもないはずなのに‥」と衝撃を受けてしまいました。
煽りも同じ。”無理して嫌な感じ”とか出す必要あるのでしょうか。特に存在と普段の行い自体が若干鼻につくような人。「君のありのままの姿が、すでに世界を煽っているんだよ‥」と囁いてあげたいですね。よっ、煽情的!
マゾを養成する機関なのに、地のサディスティックな部分を全然活かせずもったいないことになっている漫画を思い出しました。「むしろ、普段”言うべきではない”と抑えている部分こそ、あなたに求められている発言なのかもね‥?」とも思ったり思わなかったり、”愛と哀しみのアイスピック九頭竜閃”まで披露されてしまったら世界が持たないのであくまで手加減をして頂くしかないのか。いや、辞めておこう。僕には表層で十分‥。
心が仮に7層程度に分かれていて。人と接している時に「表層しか読まれてないな‥。だからいつまでも誤解が解けないんだ」といつまで僕を”説明”しなければならないのか面倒になるときがありますが、つまりそれが対話ではあるし、心の深層こそが”真実の心”とは限らない。本質?本質じゃない?それはともかく、表層であろうと心は心。本能の獣が必ずしも常勝ではないように、”鞘”こそが本質であるケースはそれこそ物語にだって多く残されている‥。
鑑にばかり頼るな。自分のやりかたを構築していかないと‥。楽しみ方の”型”が「自分には合わない」のだったら。世界が、民があなたの型に嵌れば良い。都会へ出向く‥?違うね。住めば都‥。ここを都と定めるんだッ‥!
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