書類、試験関係が落ち着き、あとは月後半にちょっとハロワ行くのと試験結果の一部がまだ来てないかな‥くらい。今後には特に影響しないので完全自由時間。風邪も治ってきたし花粉症対策もバッチリ、心身ともに健康で文化的な生活が送れそうです。
「操作系らしいねちっこい奴ら」では何がダメな表現だったのか。思うに、「自認・操作系」が圧倒的多数なのでしょう、健常者は‥。必ずしも人に攻撃的影響を及ぼす必要ってあります?あるいは、おだてて調子に乗らせる必要ってあります?ただ公平に、正しくあるがままを認識するだけでも、別に生きていくのに支障はないのでは‥?もちろん、こんな主義を持っていたら何よりの障害者として出現しやすいのはまさしく「人を操作してこようとする奴ら」なのですが。お互いに苦手とする相手なのかもしれません。
仮に自分の知らない知識があったとして、精神の操作にそれを全く活用されていないと誰が断言可能なのでしょうか?しかし、「操作しようとする意思」自体は確実に悪意の人間に存在している強い主流とすらされる欲望であり、「そのケがある」と推定して警戒することをむしろ悪だと主張される謂れは無かったりする。極論、「必要以上に人に関わろうとする傾向」それ自体が、「相手を操作したいという欲望」だと言うことも可能です。その「必要以上か否か」のラインが、人によって大きく違いますけどね。
人に興味を持たないことを、「誇りと思うな」とする主張も最近主流になってきたようです。しかし何より多くの揉め事の始まりは、「一方からの偏った興味関心」であることは間違いないでしょう。用事は何だ?目的は何だ?済んだのであれば、お帰り願おうか……!

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