創作物ですが、「悪趣味な遊びを日常的に行っている金持ちは、それを”別に愉しみもせず義務感から面倒くさい行事としてこなしている”」という描き方がされていたのは「うわ別にあり得る‥」と思ってしまい、悔しいながら新視点でした。
確かに、本来誰もが羨む長期休暇を最近は転職の度に取っている僕なので、人からしたら楽しくて仕方がないと思われている可能性もある。実際は働いている時の休日の方がノルマなんて超絶少なくしているし、「自分以外のコミュニティに存在価値を認めてもらえる」という仕組みとして非常にメンタルの安定にはなる。「無職の才能」って、ギャグで言われることが多いですが、他人の目を気にして生きるのが人生の10割みたいな人にとっては、本当にできないことだったりするんですよね。意外と、そんなに気楽でもないし、会社所属者としての看板ではなく「僕個人に」嫌がらせをしてくる人の多さに嫌になることもある。
金を効率良く使うには、「とてつもなく無駄な使い方」を別にできるというメリットを活かすしか存在意義がない。それをあえて「とてつもない大義」に使ったりするパターンもあるはずなのに、従来の慣習に乗っ取って仕方なく「悪趣味な嫌がらせに富の再分配感覚で”関わり”としてつぎ込む」、”むしろサービス”と奴らが定期的に口にする言葉ですが、本当の本気でガチで”俺ら”が関わってやることがサービスであると認識しているアイドルか何かの自認である可能性がある‥。あるいは、「本当に金持ってるからこんなことできるんだよ!」と、素直に褒めて欲しい可能性すらあるし、それなら「本当は別にやりたいことじゃない」ことにも説明がつく。理屈が、通る‥。
僕もしょうもない慣習にとらわれてしまってはいないかと自問せざるを得ません。過去に求められてきた役割ばかりこなそうとしていないか‥。それを求めてきたのは単なる外道ではなかったのか。反発を受けてばかりなのは、彼ら彼女らはなんなら強きを挫く反撃のつもりの可能性もあるし、必要以上に「自立しない」、すなわち支援や撃破が必要なような「自己完結型ではない」を目指すべきなんだ‥。
求められる願いを全て詰み込めば、一つ一つが仮に正しくとも何も響かない。例え悪趣味な嫌がらせだとしても‥。本当にやりたい願いは、大体100個くらいに絞って欲しいものですよね‥!

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