資格にも再講習等、継続的に知識・技術の向上を図ること、とされているものがあります。しかし、この中でも、「会社から受講料が出るもの」と、「出ないもの」が存在してしまいます。これって、「出ないなら使わないってことだな。良し、受けない」としてしまっても良いのでしょうか‥?
確かに、部下を指導する立場になり、実際の機器の操作はしないとか、作業には当たらなくなるという場合も当然あります。しかし錆びたナイフを使うくらいなら、急場のカッターナイフの方が便利だったりする‥。自己研鑽と言いますが、「過去の自分の存在意義であったもの」くらいは、維持程度の勉強は継続したいですよね。
「小学校からやり直せ!」という悪口もありますが、現実に小学校レベルから復習して基礎固めをしている人ってそんなに多いですか?でも、資格ならそれと同等の効果を持つものもあります。学校に通い直さずとも――集団生活という場は学べないにしても――少なからず、「小学校からやり直した」という効果は見込めるのです。本当にじっくりゆっくり基礎から学び直している人をそんなに馬鹿にする人もいないでしょう。
作業の簡略化も増え、カッターすら使わない場合も増えてきている。「かつては、そうしていた」ということが死語になる域を超えれば、逆に古代文明を解する先住民の如く、「歴史」という武器になることもあるでしょう。同時に、「今はどうしてるのか?今日は、いつもの皆さん!」と積極的なコミュニケーションを図りつつも、礼儀としての踏み込み過ぎてはいけないプライベートエリアにぶつかりおじさんしないように自制せねばなりません。
本来的には雑用でも、固定化した余計な仕事が増え過ぎたのかもしれない‥。もっと臨機応変に!突発事項、エマージェンシー!僕の遠隔コココへのサービスは別に要らないと言っているだろう‥!
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