存在自体が罪‥。すなわち、どこにビローンしても罪!

「知らないと言ったからと言って、知りたいと言っているわけではない」ということが、伝わっていない層もいたのかもしれません。確かに、ネットミームに侵略された状態では「ああ、逆ね。知りたいということね」と思ってしまうものなのかも‥。

そして、僕も反省いたします。「精神障害者が減刑や無罪放免になっているケース」でしか精神障害者を目にすることがない層の方が圧倒的多数派なわけで、「別に障害年金すら出ず、普通に働かざるを得ないケース」も薬が発達した現代では別にそれなりの割合でいることは、あまり伝わっていきにくいのかもしれません。つまり、別にそういう層は犯罪者になり得ます。責任能力はあるということなので。

平等で結構なんです。このSNS社会、むしろ精神障害者の方が一方的に晒され、煽られ、加害性を引き出され、なんの一石も投じることも出来ずひそかに迫害され死んでいくケースだって多く在るでしょうし。それならば、僕のブログにだってわずかながらの存在価値はある。「真に平等をお互いに望むのであれば」、あるいはもしかすると解決するケースだって存在するかもしれないのですから。

「優しい嘘」というものがあります。しかし、それはそれを「嘘だ」と見抜ける相手にのみ有効ですよね。それを見抜けるほどの土台がない相手に”それ”を多用するのはなんなら加害だし、健常者が真に被害者素振りを取れば「犯罪に誘導する」ことなど、容易なのです。その「被害者」すらコントロールして誘導することすらも‥。

なので精神障害者当事者目線で言うと、この対処法は「ひたすら犯罪に当たりそうな行為をしない」しかない。信号なんて無視するくらいがギリギリを知ってて良し!とする文化は当然知っていますが、知り得る限りの犯罪は極力回避しないと、いつ誘導されて致命的な”私刑”が起こるかわからないのです。

しかし犯罪のギリギリグレーゾーンを狙うのが健常者的な高度知能とされるように、「きっちり犯罪を完璧に避けること」もまた難しいのです。性加害お気持ちのセクハラがその例として適切で、最も有名ですよね。「どの階層でも最も怒るものは何か」を考えたとき、下ネタですらちょっとわからないくらいが良しということになる。遊びを本気でやるのも厳禁。もっとも軽んじられがちだったのは机の上でのお勉強ですが、最近はこれですら”遊びとして”参戦してくる勢も多くなってきた。では何をして生活の維持のための努力をしていけと‥。

僕を経由して何かの犯罪を行うことが僕の役割だと仮定すると、僕は知識なんて付けない方が良いことになる。しかし今までの職場ではむしろ「無知」を求められたケースは少ない。飴がほしいだけなんですが‥。偉い偉いしてくださいよ、たまには‥。勉強し資格を取り、実務すら積んでなお、なぜにここまで馬鹿にされ、給料も上がることなく、なんなら迫害に近いことまでされなくてはいけないのですか‥?もはや「無知」の方を求めているならそれで成り立つ社会にして欲しいものです。

僕だって愛の秘密とかまで知りたいわけでは決してない。でも僕の層までにそれが「基礎教養だ」と求められてしまうのであれば。学ばなくてはいけなくなるじゃないですか。単なるダジャレと下ネタから、地道にコツコツ継続力で‥!

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