文系理系、陽キャ陰キャで明確に区切れるわけでもなく、人によって気になりポイントというのは違うのでしょうね。
「そうはならんやろ」ポイントが楽しさを生んだりするわけで。多くの人にとってそうではないけど、部分的に「わかる~」なポイントがあることで、面白味が生まれているということ。
好きな歌詞って、本当に共感しているポイントはごく一部だったりするのだけど、その他の歌詞の内容が自分の感覚にはないもので、何度も歌ううちに親しみのある感覚になったりもする。または、そうなっていきたいものを頻繁に歌う。
となると、あるあるポイントが多く含まれるものというより、「明確に不快な拒絶ポイント」が含まれる歌詞をむしろ避けるということだろうか。カラオケ前提でいうなら、単に歌いづらかったりするものも避けたりするでしょうけど、何度も繰り返しとなるとやっぱり拒絶ポイントがあるとできないはず。
では拒絶反応をなくす良い方法はなんだろうと考えると、やっぱりそもそも意味が理解できないものかなと。僕が最初から最後まで下ネタの歌を理解せず楽しく歌っていたように、理解してなかったらそんなの関係ない。
問題は拒絶の意思すら理解できない状態で社会を生きていて良いのかですが‥。そこは今気づきを得たので、今から学び直していこうと思います。
ちなみに僕の気になりポイントとしては、孤独に生きてきた人間が「本当は人と関わりたいんです‥!」みたいな流れ。そうはならんやろ、すでに何度も試みて、失敗に失敗を重ねてきたからその道を選んだはず‥と思ったり。少し関わってしまいそうになったら離脱したいと思うのが自然なはず。果たしてこれを克服できるのか。それとも、その他の背景が絡むと別の意味を持つ言葉なのか。答えは明確に区切らず、保留にしておきます。
※ちなみに、当ブログに何目的でいらっしゃったかはわかりませんが、今は勝手に普段の言動を改変して晒上げられることを防ぐために書いてるだけで、多くの人に見てほしいわけではございません。自己防衛のための自己主張です。