役に立たない人間は、学問でもやってりゃいいんですよね。勉強を継続することが僕のせめてもの生きる道だったはずなのに、少々横道に逸れすぎた‥。
僕はそもそも何かを「楽しむ」なんて高尚で陽キャでポッシブルなことなんて考える必要はなく、不感を貫けば良い。それでもクスッと来てしまったら、「面白い」ということなんでしょう。我慢した方が笑える理論‥。
そして、つまらないことには正直につまらないと言ってしまえるのが僕の強みだったはず。空気を読まない発言をするか、それとも単に黙るか。まあ今はわからないことも多いですし、黙るのが得策か‥。
「連携させない」「空気を読まない」とは、時に不正を防ぐ砦となることもある。少しくらい、完全に調和しない人間が混じっていても良いでしょう‥。どうせ、健常者は街中全員とテレパシーで繋がってるんでしょう?僕はある種の不穏分子かつイレギュラーとして、粛々と日々を過ごしていきましょう‥。
抗体を持たない弱さは、同時に相手にも秘密兵器となり得る強さにもなる。社会との繋がりは完全に絶たずとも、鎖国のようなことを実行し続けることは可能‥。自世代限りの使い捨てかもしれませんが、きっとどこかで役に立つかもしれません。
社会から情報を学ぶのと同時に、僕ら自身も社会に情報を吸われている。あるいは、もはや単なる情報にそれほどの価値はなくなるのかもしれません。それでも主張できる個性とは一体何か。五感だけではない‥。六感‥。六感が必要なんだッ‥!