サブカルチャーは、もう本当に陽キャのフィールドになったんだなと‥。去り時を見誤ったか‥。

今日は本当に加齢を感じましたね。筋力とか、知識量とか、ある程度積み上げて向上できるものはあっても、年齢とともに確実に消耗し、回復不可能になる機能も多く存在する。どちらかといえばある種当たり前の常識なんですけど、現実社会で実権を握っているのは知識や人的ネットワーク、受け継がれた資産にアドバンテージを持つ一定以上の年齢の人たちですからね。なんとなく盲点になっていた‥。

地域に長く住んだわけでもなく、職歴が長いわけでもなく、単に資格+入社試験の成績が良かったくらいの理由で一定の年齢の人よりも好待遇で入ってしまったばかりに、戦う相手の想定を常に年上に設定しなければいけなかったのが、自分がなぜか「まだ若い」と勘違いしてしまった理由なのでしょう‥。

本当の敵は年下にも存在していて、実際に追尾して嫌がらせしてきていたのは実は年上ばかりではなかったのかもな、と思い直しました。客観的に事実だけ見たら、割と楽で安定で良い環境、将来の伸びしろも十分な状況に置かれていますからね‥。実際はいつ辞めるか、みたいな心境ですが。受ける嫌がらせが報酬に全く見合っていない‥。資格選任さえされれば平で良いよ、こっちは‥。

こっからは本気で敵とみなすのは加齢。アンチ・エイジング。年を取るのは悪であり、弱化であり、劣化であり、下等であり、忌み嫌うべき事実であると捉えます。経験を重ねることは必ずしもプラスではないことは、むしろ若かった頃は当たり前の事として知っていたはず‥。

選択と集中。もはや古臭い概念ですが、経験すべき事柄は選んでいかないと手遅れになってしまうかもしれません。僕が選ぶべきなのはカラオケ・資格の2点のはず。いつまでゲームに囚われていたのか‥。そもそも得意でもないし、もはや大して課金貢献してるわけでもないのに‥。

娯楽がもはや楽しむものではなく、文化マウントを取り合う勝負の場になってしまったことに気づかず、攻撃者からすると打ってつけの弱点となっていたのかもしれません。ならゲームではもはや勝負にすらならないことを認め、引退を考えていくべき‥。

関係各所へのリスペクト、ちょっとしたあるある、意外性のあるプレイングなど、そういうのを見るたびに僕はゲームを楽しんでなんかなかったんだなと思わされます。感じてたのはやっぱり、「ムカつき」と、「敗北感」であったのは確かでしょう。それによって、対抗しようと、「よりゲームを楽しもうと」努力しようとしてしまったのかもしれません。1円の得にもならないのに‥。

反面、歌を歌ってるときは本当に楽しいという瞬間はあります。常時楽しいわけではありませんが‥。もはや努力で伸ばせる部分と衰えていく部分と合わせてトントンですらある気はしますが、フィットボクシングでも続けながらちょっと本当に体の健康も意識していきたいですね。

資格、日常とある程度別ブログに退避して、当ブログに残ったのは個人の感想とゲームでした。今後、ゲームカテゴリはカラオケを基本に、気が向いたときにちょっと他ゲーを書いたりする程度に留めます。楽しむ才能すらない分野でしたね、残念ながら‥。

評価でも、分析でも、攻略でもなく、ただの個人の感想として。本来、晒上げられるような内容でもなく、ただ単に人畜無害で無意味な存在であるという点に、着実に回帰していきたいですね。

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