真実の目でよく見える!‥とはいかないのが現実の世の中。あって精々邪眼なのではないでしょうか。第3の目は心の瞳‥。
果たして、真実の愛とは存在するのか。このワードを出してしまったせいで叩かれ始めた気がしていますが‥。再度、見つめ直してみたいと思います。
欠かせないのは阿吽の呼吸、ツーカーに代表されるテレパシーですが、これは電波により妨害可能な可能性がある。実際、電波系機器の操作資格は精神状態が不安定な人では取得できないことになっている。脳波もある程度解明されてる時代ですしね‥。
心だって体から発生しているはずなわけで、精神操作の類は公開されている既知の技術でもある程度可能なことにはなる。急に心臓がバクバクいったからといって恋煩いとも限らないでしょう。そのようなこと、「技術的には可能です」ってことか。
では、飢えた獣のごとく、本能を全開にすれば真実が掴めるのでしょうか?それこそ、デバフや状態異常にかかりやすくなる。恰好の標的というやつ。愛がとてつもなく大きければ別かもしれませんが。そう、真理とは力‥。
どっちかといえば、本能を抑えつつも、それでも受信するものがあるならばある種の愛といえるのか?とも思ったり思わなかったりするけれど、それだと悪意が大きくても受信するよねって話で。悪意のほうが100倍人に伝わりやすいですしね(幻聴の大半が悪意というのもそういう原理のはず)。
目が悪いからよく見えないや‥。せめて自分の姿くらいは見えれば、「こんな姿で今まで外を出歩いていたのか‥?」と恥ずかしくなることでしょう。そこが最低限のスタート。
今まで避けてきた形式的なものや、コミュニケーションスキル的なものも、磨いていかないといけない。邪眼の力を舐めるなよ‥!もう少し、上手く生きていきます‥!