中学生の時、暇つぶしに丸文字を書いていたら、「~君もそういう風に書くんだね」と指摘されたことがあります。習性を観察されていたのは喜ぶべきことかもしれませんが、気まぐれで書いてみただけのものだったのでなんとも返答しづらく、会話は発生せず。もっと計画的に人生を生きておくべきだった‥。(蛇足ですが、以前書いた絵と同時期の同級生の話です。多分すでに消した卒業話はこの人が黒幕‥)
縁をぶつけるとは、それに至るまでの修練が必須のはず。園児が使うかのような幼さを演出するまでもなく僕は字が下手な部類なので、本来は丁寧に書く一択のはず‥。「貴様には手加減などまだ早い‥」そう言いたかったのかもしれません。
真に黙するとは、思い返すだけでなく、実践として成果物を残していかなければならない。数多の成果がゴミ箱に消えていく中、渾身の一作が自分にとっての「当たり前」になるように。強さも磨かず、手加減も覚えず、人も信じられず、良く生き残ってきたな、自分は‥。種も仕掛けもない生き方が、逆に見逃される隙になっていたか。変化球が見えるようになってしまった今、どのようにこのレベルを脱することができるか。
文字にだって自由度がある。その「ズレ」は活かすまでもなく、顔文字や古代文字に至るまで、そしてそもそもの文字の発達に至るまで、文化もダジャレもとっくに詰まっていた‥。そりゃ、「英語を勉強しようかな」とか呟くレベルの人間ではなかったということですね。知識としては知っていたけど、まさか皆普通に日常生活で使いこなしていたとは‥。
下ネタの実践に後れを取るうちに、ここまで時代に取り残されていたか。中学生の時点では診断はされていませんでしたが、ちょっとこのあたりの時点ですでに怪しいですね。性癖の根源か‥。
もっと自分の知覚範囲を広げていかないと‥。酒とか飲んでる場合じゃない。カフェインでも入れて、強い歌唱を心掛けます‥!