割と天邪鬼的な所があるので、自分の好きでやっていることと、そうでもないけど形としてやっていることがたまに入れ替わる時があります。まあ、毎日やってりゃ好きな事でもそうでもなくなるときもありますし‥。
「コーヒーが好き」で、いつも同じ場所で同じコーヒーを買っていたら、悪意の人が毒を盛るには好都合。「得意だと思わされること」があったとして、それが得意な事ではないという「わからせ」が発生したとき、ショックが大きい。だから、危険を察知したとき飲むのを止められる程度にしか好きではないコーヒーしか飲むべきではないし、得意ではないという自覚はあっても得意だと思っていると思われなければならない。
やっぱり、日常生活の中に柔軟性があるどうでも良いことって必要なんでしょうね。そして、さも大事な事のように吹聴しておく必要もある。いつか潰そうとしてくるタイミングが訪れるので。
でも、常識がひっくり返るほどの危険が迫ったとして、それでも引き続き好きであったものは、やっぱり本当に好きなのかもしれません。あるいは、ちょっとどうでも良いくらいの気楽さの方が、好きが持続するのか。
足取りもお気持ちも、軽いくらいが丁度いいか‥。それでも、深く突き詰めていくものも、手放したくはないですね。明言はしませんが、頑張っていきます‥!