感想は無からは生まれない。この反応の栄養源は‥?

僕もやりがちなんで気をつけてはいるのですが、「特定の人に向かって言っているわけではなく単なる自戒や鼓舞のために言っているだけ」のことに対して、「~について言っているのか!~は~だから~」という話に置き換えてしまう人がいます。僕が貴族的なダジャレや下ネタを嫌う大きな理由の一つとして、こういう「曲解できる余地」が通常の言葉よりも遥かに大きいため、「伝わらない人・伝わっているのにあえて捻じ曲げて解釈する人・必要以上に過敏に反応する人」が多く生まれてしまう点です。炎上させたいなら多用すべきなんでしょうけど‥。

伝わらないのはお互いに勉強不足、捻じ曲げて解釈するのは曲げる側が治療不可能な病気のため無視すれば良いとして、過敏に反応するのは結構陥りがちなことなので意識しておく必要がある。

冷静に、「これは別に自分について言及しているわけではないのでは‥?」と一呼吸おいて考える癖をついておくのが良いかもしれません。YouTuberに投げ銭しているのを見て「愚かだなぁ」と言う人は多いですが、特に投げ銭するでもなく一方向メディアであるテレビ等と同じ感覚で見ている残り9割以上の人を無視して言及しがちです。「むしろ言及されたくない」というのは、本来的に備わっている人間の防衛反応であるということ。「言及=プライバシーを侵害してくる攻撃」と言い換えても過言ではない。

つまり、そもそも「相手が嫌いだから」「敵だから」、「自分に向けて言っているに違いない」という発想になる。好きな人だったらむしろ言及して欲しいわけで、「本当に僕に向けて言っているのだろうか‥?本命や隠れファンに向けての符号化されたメッセージを僕が勝手に浅いレヴェルで読み解いているだけなのでは‥?」となるのが普通です。なぜ貴様ごときに向けて言及したと認識した‥?眼中にないわ‥という話。

不快な思いをすれば何か物申したくなる。それが世界を盛り上げハッピーにしてくれるものならば万々歳ですが、生産性を下げる方向で動いていくのはよろしくない。「お気持ち」は「良くなって」、出力は常に愛に溢れたものが良いですね‥!

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